風水の効果は、江戸時代が証明しています

東京

「風水」という言葉を聞くと、
堅苦しいイメージを持つ方が多いと思います。

でも、
「風水」は古くから伝えられた環境をベースにした学問でもあります。

今回は、
江戸時代を焦点に当ててみて、
東京と風水の関係についてお話してみましょう。

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目次

天下の統一を最後に果たせた人は、風水で成功した…(?)

当時天下の統一の3代名称と言えば、
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康です。

その中の徳川家康は、
風水を利用して江戸を栄えた人物なのです。

秀吉が天下統一をしていた頃は、
大阪城が拠点になっていました

その頃の関東の土地は、
湿地帯や悪条件の多い状態だったようです。

秀吉に関東の土地を与えられた家康は、
当時はショックだったのかもしれないでしょう。

でも、
その事が家康の人生を変える事に…。

現在の「皇居」がパワースポットになっているワケ

関東の土地を与えられた家康は、
発展の為に対策を練りました。

彼のブレーンである南光坊天海は、
風水の知識が豊富だったので、
彼の政策を風水でプロデュースしたのです。

ポイントは、
静岡県と山梨県にそびえ立つ富士山

富士山の強力な気は、
東京にまで流れる事を知ります。

彼らは、
富士山の氣をうまく江戸へ流れるような建築・工夫をしました。

現在の「皇居」は、
「江戸城」の跡地です。

「皇居」がパワースポットと呼ばれているのは、
富士山の強力な氣を受け取る配置をしているからなのです。

徳川家康の天下統一・江戸時代が長く続いたのは、
「風水」の力を利用したからです。

江戸時代に風水は封印されていた

風水と取り入れた徳川家康ですが、
風水を封印した一人でもあります。

なぜならば、
第3者が風水を身につければ、
その人が天下を統一してしまう危惧を感じていたから
です。

「鎖国」も風水の技です

江戸時代には、
外国からの連絡を封印する為の「鎖国」制度がありました。

これも風水を利用しているのです。

南東は貿易の方位とも言われています。

江戸から見て、
南東は今の千葉県の房総半島側。

当時その場所は、
余り良い影響を与える事が出来ない土地だったようです。

なので、
海外から悪影響を与えやすいと判断した家康が、
貿易を封印する作戦をとったのではないのでしょうか…。

しかし、
数百年後の「開国」により、
江戸時代の終焉が近づく事になります。

「鎖国」の技法。
実は、
江戸時代を守る秘策だったのかもしれません。

江戸時代の終焉は「鬼門」が原因?

「開国」は江戸にダメージを受けましたが、
さらに悪化していきます。

それは、
15大将軍徳川慶喜。

何故、
慶喜なのか…。

徳川家康は亡くなる前に、
「将軍を水戸から出してはならない」
と言う遺言を残されました。

水戸は東京から見て、
北東の方位。

北東は「鬼門」と呼ばれる変化の方位なのです。

そう、
慶喜は水戸出身者だったのです。

慶喜を将軍にした事によって、
江戸に傷を深めてしまったのかもしれません。

でも、
今の東京が栄えているのは、
徳川家康のおかげでもあります。

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